癖が人間の絵をおもしろくする(Life-background makes human drawings fun)
私はAI学習の是非を話したいわけではない。
最初にこれだけは言った上で本題に入る。
昨今、拡散モデルによるAI生成画像が流行していて、SNSや画像投稿サービスには様々な画像が投稿されている。ここでは、いわゆる「二次元画像」と呼ばれるものを対象にして議論する。TwitterでAI学習が云々言われる核心地たる場所だ。
実のところ、私はAI画像はミュートしている。その理由はこの文章を最後まで見ればわかるので、人間の読者の皆は最後まで落ち着いて読み進めてほしい。現在画像生成AIで主に使われている拡散モデルをものすごく大雑把にいうと、画像がノイズに侵食されていく過程を学習し、それを逆にたどることで画像を生成している。なので、画像のノイズがかなり激しくなる。
【参考】
https://x.com/GianMattya/status/1640353062249463808
なので割と人間の描いた絵とAIが生成した絵は見分けられる。私はこれをAI生成画像との見分けに利用している*1し、「私がAI絵を好まない理由」=「人間の絵を好む理由」の一つにはこのノイズもある。
ただ、思い出してほしい。概ね2年前、我々は「手掴みでラーメンを食べている絵」をAIが描画したということをお笑いにしていたはずだ。
不気味の谷現象という言葉がある。
人型ロボットなどの様態があまりにも人間に近いときに、見る者に違和感や嫌悪感を抱かせるとされる現象。
【コトバンク:不気味の谷より引用】https://kotobank.jp/word/%E4%B8%8D%E6%B0%97%E5%91%B3%E3%81%AE%E8%B0%B7-184622%20
拡散生成モデルがこの不気味の谷に突入したと言うこともできるだろう。しかし、私は別のアプローチから話す。以下はリンク先の記事からの引用だ。
川添愛 × 品田遊 対談後編 | AIの創造性と面白さについて考える - あしたメディア by BIGLOBE
人間の面白さや、各個人が出す迫力というのは、その人の限界が規定しているような気がするんです。
だからこそ、書いた文や言った言葉が、その人の生の迫力を担保しているんです。
この点に人間が描いた絵の優位性があると私は考えている。
人間が描いた絵というのは、その絵を描くまでの人生がバックグラウンドとして存在している。具体的にいうなら絵の癖*2(一般に絵柄と言われるもの)だってそうだし、性癖もそこに含まれる。筋書きのない一枚絵に対してでも、それを見る人は描き手の癖(いきざま)を読み取ることができる。引用元の発言者は小説家なので文章寄りの話ではあるが、私はここでさらに対象を絵と癖に拡張することができるという仮説を立てることにした。よって、私はここに「人間の描いた絵を好む理由」を主張する。
最後に、先述の記事からもう一つ引用して締めとする。
でもAIというのは、入力に対して出力をしているだけなので、その限界というものが希薄なんですよね。作った文章が、話として面白かったとしても、書いた人の限界やギリギリの部分が見えてこないので、そこで興ざめするのかもしれません。